Printer-friendly version

モルモン神殿はキリスト教のものか?

モルモン神殿はキリスト教のものか?

By:
 

公式には、「末日聖徒イエス・キリスト教会」として知られているモルモン教会は、世界中で100以上の神殿を運営している。モルモン教会はこういった豪華な建築物は、聖書に記述されているエルサレム神殿と同じ目的を果たしていると主張する。 また、死者を贖うパプテスマや、永遠の結婚1を 含むモルモン神殿での極秘の儀式は、イエス・キリストや使徒たちによって設立され、遂行されていたとも主張している。 更に、モルモン教会は、地球上で唯 一の真の教会ともいう。 その理由は、モルモン教会は失われていた初代教会の神殿の儀式を、「回復」した唯一のキリスト教会だからだそうだ。

聖書の神殿とモルモン神殿の儀式比較は、二者に共通の目的が何もないことをはっきり示している。」

はたしてモルモン教会の主張は信頼性のあるものか? 歴史上の証拠は? さらに大事なことには、聖書、すなわち、神のみことばで、裏付けられるものか?

ここでは、モルモン神殿と神殿内の儀式は、聖書と初代のキリスト教史に裏付けられるものではないことを示していく。 こういったものは、モルモン教会創立 者ジョセフ・スミスの発想によるものであって、新約聖書時代に生きるクリスチャンのための聖書的教理ではない。 

 

共通の目的はない 

聖書の神殿とモルモン神殿の儀式の比較は、二者に共通の目的が何もないことをはっきり示している。最初に聖書の神殿の目的を見てみよう。神殿の唯一の機能 は生ける真の神への本当の礼拝を予表するものとして、罪の贖罪の必要性を教えるものだ。 エルサレム神殿の唯一の入り口すぐ正面にある燔祭(または、「全焼のいけにえ」)の祭壇の位置(下記のイラスト参照)は、 この唯一の目的を説明している。 神の愛と是認は神の子羊の犠牲によってのみ、罪過がゆるされた罪人だけに、及ぶことを強調している。ソロモンはこの唯一 の神殿の目的を、次のように述べている。「私は何者ですか、彼のために家を建てるというのも、ただ神の前に香をたく所に、ほかならないのです。」2  (歴代志下26)

 

無断転載、複製を禁ず

一方、モルモン神殿は、死者のためのパプテズマや永遠の結婚を含む、異様な儀式を行う場所として存在する。 モルモン教徒は、神殿で天国に入るのに必要と される極秘の握手を教わり、極秘の名前を覚える。 これらの儀式を通して、信者は神、女神となることが可能であると教えられている。3 こういった儀式は、初代キリスト教信仰の一部分であったが、惑わす教師や背教者によって排除されたと主張している。モルモン教会は、すべてのほかの教会は偽りであり、背教しており、4 モルモン教会のみが、世界で唯一の真のキリスト教の形態を保っていると主張している。 しかし、こういったモルモン神殿儀式は、聖書、古代ユダヤ文書や初期キリスト教史の事実によって裏付けられるものではない。

それぞれのモルモン神殿の内側には、12頭の等身大の牛の彫刻像の背に、印象的なパプテズマの洗礼盤が据え付けられている。

イラスト②

ユタ州ソルトレイクシティ、テンプルスクエア、ビジターセンターの洗礼盤。

この「洗礼槽」は聖書に述べられたソロモン神殿の扉のすぐ外側に設置された大きな水盤(「大水盤」または「海」とも言われる)を倣って造られている。 (歴代志下42, 15節 一部を裁断したイラスト参照) しかし、聖書の神殿の水盤は、モルモン教が教えるように洗礼のために用いられたものではない。キリスト教の洗礼は新約聖書の儀式だからだ。 むしろ、水盤は祭司が、聖での勤めの準備として動物の火による捧げ物の後、水を浴びるために用いられたものとして聖書は明確に示している。(出エジプト3018-20節、歴代志下 42-6) モルモン教の死者のためのパプテズマは、ユダヤ教でも、キリスト教の慣行でもない。 洗礼と救いに関する新約聖書の教えと矛盾する。 

同様にモルモン神殿での永遠の結婚の儀式は、聖書的神殿では、行われたことは決してなかった。 聖書、古代ユダヤ文書や初代キリスト教史にも、そのような神殿儀式は述べられていない。むしろ、ローマ72節 で使徒パウロは、結婚は、人が生きている間にだけ有効であると教えている。 「夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。」同 じく、イエスは次のように教えている。 「復活の時には、彼らはめとったり、とついだりするようなことはない。 かれらは天にいる御使いのようなものであ る。」(マタイ2230節)モルモン教の永遠の結婚はキリスト教的でもないし、聖書的慣習でもない。

破られる聖書的原則

次に、考慮すべきことは、神が聖書の神殿のために顕示された多くの原則が、モルモン教神殿で破られている事だ。4つの例をあげてみる。

1.唯一の真の神の存在を証しするものとして、神はたった一つだけの神殿の建設を命じられた。 (申命記12513-14節、165,6節)これに対して、モルモン教会は、たくさんの神殿を運営しており、神の命令を破っている

2.  祭司のみが、聖書の神殿に入ることを許されていた。 礼拝者はイスラエルの王といえども5、神殿の庭にある全焼の燔祭の祭壇から先にいくことは、許されなかった。祭司ではないものが入場し、モルモン神殿の働きに携わることが許される。これは、モルモン教は聖書の啓示に逆らっていることの更なる根拠である。

3.  聖書の神殿におけるすべての活動は、公に知られていた。 これらは聖書で詳しく説明されている。(例:出エジプト記 307-10節、 レビ 45-7節、 161-34節、 241-9節 参照).6 聖書は、クリスチャンが、秘密の活動に加わるのを警告している。 (マタイ1026-27; エペソ511-12)。 イエスは秘密の教えは持たないと断言している。「わたしは、この世にたいして公然と語ってきたなにごとも隠れて語ったことはない。」(ヨハネ1820) これとは対照的に、モルモン教は、神殿儀式の内容を極秘に保っている。7

4.  聖書は、アロン祭司制度には、満たさなければならない厳重な血統の条件があると述べている。 レビ族の男性と、アロンの家系の男性のみが、神殿の聖所で祭司として仕える資格を有すると、聖書は明確に教えている。 (民数記 310節、 出エジプト 299節、 民数記181-7)8 モルモン教会は、回復されたアロン祭司制度を持っていると主張しているが、これは聖書の明確な家系の必要条件を無視した主張である。9

神殿は今は必要ない  

地上での務めの終わりに、イエスは、エルサレム神殿はまもなく破壊されると予言された。(マタイ242) イエスは弟子たちに「よく言っておく。 その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう。」この予言は、紀元70年 にローマ帝国のテトス将軍が神殿を破壊した時に成就された。 以後、神殿は建てられたことはない。 他の聖句でも、イエスは、神殿礼拝は、神殿なしの新し い形式の礼拝にとって変わろうとされつつあると、述べておられる。「あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来るしかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととを持って父を礼拝する時がくる。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者を求めておられるからである。」(ヨハネ421,23) 

十字架上でイエスが死なれた時に起った劇的な出来事は、神殿礼拝の終了を知らせるものだ。福音書は、イエスが息を引き取られたまさにその時、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」と述べている(マタイ 2751節、マルコ1538節、ルカ 2345)。 イエスの死の際に幕が引き裂ける以前は、厚い神殿幕は、祭司が神殿の内の部屋(至聖所)を、見ることを妨げる障害物の役目を果たしていた。(イラスト①参照)この至聖所は、神の聖なる栄光に満ちたご臨在を象徴している。 大祭司だけが、一年に一度の贖罪の日(Yom Kippur)のみ、至聖所に入ることが許されていた。 この制限は、神の御前に近ずく道は、古い契約では真に得ることができなかったことを示すものだ。新約聖書のヘブル人の手紙98節 は、「それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所に入る道はまだ開かれていないことを、明らかに示している」と記す。古代ユダヤの記述によ ると、厚い神殿の幕は頑丈で、二組の牛の群れが反対方向に引っ張ったとしても裂けることはなかったものであると述べている。10  事実、イエスの死の時、この幕が上から下まで二つに裂けたことは、神の御業であり、十字架上のイエスの最終的な贖罪の終了を証しする天からの応答でもあ る。(キリスト教会と異なり、モルモン神殿では、十字架が飾られていないことは、注目に値する。)キリストに対する信仰により、クリスチャンは今、神の御 前に自由に出ることが許されている。 新約聖書のヘブル人の手紙は、「さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがい ますのであるから、...私たちはあわれみをうけ、また恵みにあずかって時期を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近ずこうではないか」と述べている。 (ヘブル人 414-16節、619節、1019-22)

幕が裂けたことは、神殿での礼拝制度の終了を証している。 この制度は、今は廃れており、われわれはもはや人間の祭司や神殿を必要としない。イエスによっ て設立された新契約では、イエスは天の聖所で信者のための大祭司でおられる。モルモン教が言うところの神殿は、キリスト教とは無縁なものである。

 


 

注釈

1.  モルモン教会は、死者のためのパプテスマの儀式は、元来イエス・キリストが設立された儀式を「回復」したものであり、(Did Jesus Establish Baptism for the Dead?参照)、神殿結婚儀式は、アダムとエバの時代に溯るとも主張している。 「神殿結婚は、世界創造以前に定められ、死がこの世に入る以前に設立された永遠の原則を含むものだ。」(ジョセフ・フィールデング・スミス、The Way of Perfection. Salt Lake City, 1931, p. 251, ジェームズ・T・デュークは, Encyclopaedia of Mormonism, 2:858Eternal Marriage”のなかで先の文を引用。 ジョセフ・フィールデング・スミスは10代目のモルモン教会管長。この本が出版された時は、管長でなく、モルモン「使徒」であった。)

2.  すべての聖書引用は、日本聖書協会発行の口語訳聖書1955)による。日本人の末日聖徒は、口語訳を使用。

3. モルモン神殿におけるエンダウメントの儀式に関する詳細は、次のサイトで読むことができる。(The Mormon Temple Endowment Ceremony)モルモン教会は、われわれ人間は、神々になることができると教えている。(『教義と聖約』13219-20節、『福音の原則』300頁、Achieving a Celestial Marriage, 130頁 参照 

4.  モルモン教会の正典は、創始者ジョセフ・スミスの第一の幻の記述を含んでいる。 ジョセフ・スミスは、 神は、スミスにすべての教派は「間違っているである また、わたしに話しかけられた御方は、彼らの信条はことごとく神の目に忌まわしいのであリ」と言われたと主張。(『高価な真珠』―ジョセフ・スミス―歴史118-19節)

5. アロンの子孫以外の人が神殿の奉仕から除外され ていることは、ユダヤ王ウジヤの体験によって劇的に例示されている。 ウジヤ王は、厚かましくも聖所に入り、香を炊こうとした。 祭司が王に立ちはだが り、聖所から出るように言い渡した。 「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたがなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香を炊くために清められた祭司 たちのすることです。 すぐ聖所から出なさい。 あなたは罪を犯しました。あなたは、主なる神から栄えを得ることはできません。」(歴志下26章18節)更に、ウジヤ王がこの戒めを無視した時、主がウジヤ王をらい病(「ツアラアト」で打たれたので、祭司たちは無理やり王を神殿から連れ出したと聖書は述べている。

6. 庶民の祭司の聖所での職務に対する認識は、ルカ110節を読むとよく分かる。 祭司の聖所での日々の職務の一つは、幕のすぐ前方の香の祭壇の上で、祈りの象徴である香を焚くことだった。(詩篇1412節、黙示録58節、84節)(イラスト①参照)祭司ザカリヤが、この職務を果たしている時、「香を炊いている間、多くの民はみな、外で祈っていた」と聖句にある。(ルカ110節) 多くの民の祈りは、ザカリヤの奉仕が民を代表するするもので、主に受け入れられるようにとの祈りであったに違いない。

7. モルモン教会は、こうした儀式を「極秘ではなくて、神聖なもの」と言う。しかし、これは屁理屈であるモルモン教会は、教徒に、「われわれは、神殿外では、神殿儀式を話すことはしない」と事実、指導している。(ボイド・K・パッカーThe Holy Temple, Corporation of the President of the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, 1982, p. 2).

8.  アロンの家系以外のレビ部族家系の男性は、祭司の監督下で、補助的な神殿奉仕をしていた。(民数記35-9)。有名な英国の科学雑誌『Nature』は現代のユダヤ人で祭司の系統を主張する人の間に、遺伝上の関連を発見したという新しい科学的研究発見を報じている。 これは、3,000 年以上も聖書のアロンに溯るという、一般的な共通の血統の主張を支えるものだ。 カール・スコレキッキー教授(テクニオン・イスラエル・インステテュート のランバム・メヂィカルセンターーイスラエルのハイファにある)を筆頭とする研究では「ユダヤ人祭司と一般のユダヤ人祭司の間には、Y染 色体のハプロタプスの頻度において明らかな違いがあることを発見した」としている。この遺伝上の共通点は、スファラディ系統(スペイン・ポルトガル系)と アシュケナージ系統(中部・東部ヨーロッパ系)のユダヤ人共同体のなかで、祭司の祖先を主張する人の中に発見されている。Y染色体は、男子のみに発見され、父親を通じて遺伝する。( “Y Chromosomes in Jewish Priests,” in Nature, vol. 385, 2 January 1997, p. 32

9.  これも『モルモン書』への重要な疑問を、投げかけるものだ。『モルモン書』の登場人物(コロンブスによるアメリカ大陸発見以前のヘブライ人で、「ニー ファイ人」と呼ばれるアメリカへの移住者)は、神殿を建設し、「モーセの律法に従って何事にも、主の裁決と掟と戒めを守るように努めた。」(ニーファイ第 二書5章10節、2524節) しかし、ニーファイ人は、レビ族ではなく、ヨセフの子孫と述べられている。(ニーファイ第一書56節 または、マナセ―マナセはヨセフと繋がりのある「半部族」のひとつ―アルマ103節) 以上の理由で、『モルモン書』の登場人物は、有効なアロン祭司制度を持っていないことになる。 

「アロン」の名前は、『モルモン書』に48回でてくるが、決して聖書のアロンやアロン祭司制度に関して言及されてはいない。 ここで旧約聖書にある、他の幕屋や神殿に関する用語のリストをあげるが、(括弧内は使われた数を示す)『モルモン書』では、一度も用いられたことはな

い。「大水盤」(13)、「香」(121)、「契約の箱」(48)、「アロンの子孫」(97)、「贖罪所」(または「贖いふた」)(23)、「贖いの日」(21)、「仮庵の祭り」(17)、「過ぎ越しの祭り」(59)、「主の家」(627 )

10. K.R. DeHaan, The Tabernacle (Grand Rapids: Eerdmans, 1955), p. 115.